December 2017  |  01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

作品集

昔に自分で和綴じで、作品集みたいなのを2冊ほど作っています。
紙はプリントしたものですけどね。
絵と詩のような言葉をいれたものです。
1つ目のは箱もちゃんとあったなぁ....。

あれ、ラスの手元にはあるようなないような、なんですよね、
実家にあるのかしら....
素直な言葉と言うものを書いても、素直な絵というものを描いても、なんとなく抽象っぽくなってしまう
っていう事を思ってしまう。

言葉にできない何かを表現しているのだろうかというと、それはそうなのかもしれないけど、
そうと言う事でもないのかもしれない。

あぁでもないこうでもないは、ああでもあってこうでもある。

まぁ、あの時とほとんど変わってないのでまた作品集でも作ろうかな〜。

あれ、そんな事考えてたら個展までそんなに日ないな.....

原風景というもの

久しぶりに産まれてから中学卒業まで住んでいた町に行った。
整備されているけれど、妙に自由感のある、万博公園内みたいな町は、ラスの原風景の1つだった。
まぁ、当然の話だとは思うのだけど、小さい頃にすんでいた訳やしね。

何度か今までも帰ったりしてたけど、
今回は完全に子供の頃に遊んでいた、林の中にがっさがっさ入っていったりしたから、なんか気づいたなぁ。

小さい時、ガッサガッサと落ち葉を踏みながら友達と行っている時もあれば、一人で行く時もあった、
一人の時の方が記憶に残ってるのかもしれない、
なんか考えながら、想像しながら歩いてたと思う、想像って事までも行かないような、
想像っていう事に気づいていないというかそんな感じなのだけど。
観ていない感じで歩くのは、この時からしてた。

その時、浮かんでいた景色がその当時のラスの原風景の1つだとしたら、どこのことなんだろうな。

色んな事と色んな事が混じって、それは実際起こっていた事でも起こっていない事でも
あの時にみたその一瞬でも、その時に見たほんの点でも、その時に考えいた事でも、
匂いでも、音でも、想像している事でも、妄想や、空想している事でも
それらがいっぱい混じって、風景を作っているのなら、
その風景が大好きなら、どこにいけばいいんだろうねぇ.....


ま、ここにいればいいんだけどね(笑)
 

いつもながらにだらだらと

こうもたくさんの情報や意見、考え方なんぞを見ていると、何がなんだかよくわかんなくなってくる訳です。
よい言葉を見ては、あぁ、あの言葉と同じニュアンスね、とか、あぁ、こういうことを言いたいのね、とか、パターンが出てきて素直にとれない。
普通とか一般とか表現とかアーティストとか芸術とかデザインとかよくわかんないんだけど、まぁ説明するのには手っ取り早い場合もある訳で、色々と使ったりもしているのだけど、どこをどう線引きするのか、それこそ線引きなんてものがよくわかんなくさせてるんじゃなかろうかと、そう考えたりがちゃがちゃになっていくいつもの癖。
ただ盲目的にそれらの事を言える人たちが少しうらやましくも思う(皮肉)
盲目的でなくそういう事を言っている人は本当にすごいと思う(周りに多い)
自分のいるところがきっと特殊なんだろうと思う、でもそれはそれで皆の周りもそれもそれで特殊だと思う。
視点の変え方、視点の変え方で昔から遊び過ぎていて、時々バランスが崩れると危うくなるけれど、
元々ポジティブなので、ポジティブすぎなので、めんがへらへらとかはしない。
あ、へらへらしているにしたらこっちの気持ちも知らないで!なんていうかもだけど、視点を変えればこっちの気も知らないで!
って言う話だ。
下手に下手な事をかけないなんて思っているのは自分だけで、好きに好きな事書けばいいと思う。
私の言葉に社会的に影響力はない、問題にもならない。
分かっている人がばかだね〜なんて笑ってくれるだけの話、とても嬉しいね。
あらを探したりだとかどこをどう好きなのかとかひっかかりを探したりだとか、
色々とその前の瞬間にわかっているのに、それに靄をかけて靄をとろうとしている、そんなことをしているのは馬鹿だ。
その瞬間に靄をかけないようにしなきゃぁなぁ。

別の所のお話で、靄っているところはとても楽しかったりするのだけど、それは別のところのお話。

説明ってことは時にはいるものだし大切なものだろうけど、いらない時はいらない。
しかも難しい言葉で説明されても、馬鹿な僕にはわかりゃあしない。
ただ、もっともっと自分を遊びたい。
最近遊べてないなーっていつもこの季節に思う。
あぁ、こんなことを言いたいんじゃなかったはずなんやけどなぁ。
まぁ、また何か思ったら書けばいい。
ただそれだけ。

それがなんなのかどうなのか

それがなんなのかどうなのかなんて本当は言えなくて、でも時々は言って欲しくて
それはなんなのかどうなのかなんて言えないと言ってくれてもいいのに、それだけでもいいのにね。

多くの事は学習で、過ぎてしまったのだからそういうしかなくて
わかったのであれば笑うだけ。

渓谷に降る雪にありがとうとを言って、音のしない町に川の音を聞いて
近くにあってよかったと一安心する。

行かなすぎるとどうなるのかも少しわかって、
寒くなっても行けるのだと嬉しくなっている。
音のない町、違う音が聞ける町。


魂を込めるだとか、何を表していて何を言っていてだとか、やらないと死んでしまうのだとか
そんな事ではない、
どうやって産まれたかもわからないし、どうやって生きているのかもよくわからない
だから
そういう事。
とても自然な事。

自然な事を自然にずっとやるのにも色々と考えや理由をつけないと行けない時があるからめんどくさいね。
でもそれらを自然にやっていきたいから、それらを自然にできるようにするために生きている。
それはそれで面白い。

今度はあの駅でおりよう。

こうしてゆっくり書く事は久しぶりで。

ゆっくり書く事ができないほど忙しい訳ではなくて、
ゆっくり書くという気持ちになりづらくなっている日々なのかもしれなくて、
数日経って数年前の自分に戻りつつあるのだけれど、それでもあの時とは少し違う自分で、
ふぅっと息をついて肩の力を抜く。

何をしにここに来たんだろう、なんて子供みたいな事考えて、
いや、子供の時の方がそんな事考えてなかったような気もするなぁ。
みんなも考えたりするんだろうか?
なんだかすっきりしていないのはなんなんだろうねぇ。

言ってはいけない言葉があって、それを言葉にするのは早すぎる。

何周も何周もまわっては戻ってきて、戻ってきているようで少し違っていて
その回って回ってそうしてそれは渦巻きのようになっていく。
隙間がないほどの渦巻きだったら、そのまま板になって乗せればいい
隙間が空いているのだったら、バネみたいになって飛べばいい。

またあの参道に行こうと思う、独りで行った時はもっと凛としていて大丈夫だった、
バランスがとれていなかったから妙に不安になったあの日。
あんな事はもうごめん。

なんちゅう修行だ。

番号のついたシャッターが浮かんでくる景色。

また、再開しようと思う。


思う

どんどんどんどん興味がなくなっていって、って訳ではなくて、
バランスをとるのが本当に難しい。
興味をなくすのが一番手っ取り早いのだけど
いつまでもそうやっているのもだめなんだろうな。

ほんの少し傾けば、何も聞こえなくなるし
逆方向にまた傾けば、何も見えなくなる。

聞こえながら見えながら、深く深呼吸。
考えて考えすぎていて、わかっていて、考えているふりをする。

まぶたの奥の少し上の方にある景色。

誰がいても集中して彼らと話ができるようにしなくてはいけないねぇと思う。


すっかり夏になっていて

 Tシャツ展やそのほか諸々のたくさん言いたいことはまた後日。
何があったかのかもまた後日。

これから何があるのかもまた後日。
あ、でもこれからのことはガラッと変わるので、早めに書かなきゃね、
それにつれてはしりどころの形態が変わるのでね、やってることはそうそう変わらないのですけれど、

そんなこんなで山にもいけず、ボーっとすることもできず、眠気の中で久しぶりに登場した巨人に癒されたりしているのです。

山の奥から流れてくる風に誘われてふらふらりと行きたいのだけれど、それは今はできず
いや、いつも危険なのでしないのですけど(笑)
ドキドキがとまらなくて、このブログも書くのも忘れちゃって、どきどきして思い出して書いてたりしてる。

せみの声が外から聞こえているのか、かかっている曲の中でかかっているのかわからなくなる絶妙なバランスと絶妙に合うこの感じを深呼吸して味わったりしてる。

少し戻ってきて、それはでも少し違うところで、でもやっぱり同じ。
同じなのは自分のところ、それもこれもやっぱりバランス。

セミを見るには外に出て探さないとだめ、外は暑くてで、音の方向を探してとてもとてもリアル。
暑くも寒くもなく、空気何も反発していないこの部屋の中で、
外の音と中の音がひとつに聞こえるこの場所はもしかしたらリアルでないのかもしれない、
でもその曖昧な場所は曖昧な場所としてとてもラスにとってはリアル。

リアルでフラット。






ゆったり家にいて、ゆったり書く気分になったので

家で絵の続きやろうとしていたのに、スケッチブックを持って帰ってくるのを忘れてしまったので、少しぽんわり時が空く、それだったらそれでやる事もあるのだけど
ちょっとブログを書く気分になりましたので、何やら書いてみようかな。

先日のアバンギルド、チクタクでのライブにお越し頂いた皆さんにここで感謝を、
本当にありがとうございます。

ばきりノす、新しくコンパクトミラーなんて物販も増え、しかし曲は増えず(笑)
さて、ぼちぼちと新曲でも作りましょうか、という案配でございます。

絵の方は。。。あぁ、スケッチブックを忘れた事をまた思い出してしまったw
ま、絵の方もどんどん物販増えて行く予定です。
展示は今の所ないのですが、今年末か来年には個展したいと思ってるので
その時はまたお知らせいたしますので、是非来て下さいね。



大きく深呼吸して、ゆっくり目を閉じて、そして目を開ける
そんなことをしても、考えている事も、見えている物ももう変わりはしません。

鳥のような何かを描いて、植物のような何かを描いて
何かのような何かを描いて、
また違う所で唄を歌って、


別に研究もせず実験もせず、ただただ、ただ自分のものを描いたりしているだけです。
もっとやりたい事はある。
でもそのただやりたい事をもっとやりたいだけなので流動的過ぎて具体的には言えません。
ずっとそう。

そういう事も考えずにがむしゃらに。
がむしゃらと言ってもどうせラスは相変わらず色々と考えたりしているので、
それくらいでちょうどいい。

目の前にあるものをちゃんと見ないとなーなんて思う。
それが誰にも見えなくてもね。

そんな事を考えて、あぁゆっくりお風呂でもはいろうか、
なんて思えているのは調子がいい。

ここ最近(いやずっとかな)また多くの人達とであって、話をして、
それがどう転んだとしても自分というものを考える要素であるわけなので、
やっぱり楽しい。
楽しくて新しくて違うくて、

哀しいと思う事にはもう慣れました。

皆も慣れて下さい(何に?笑)

それでは。

余計な事は考えなくて

余計な事は考えなくてと思っていてもまだまだ余計な事は考えてしまうのです。
自分ではまっすぐでないと思っているのだけど、まっすぐだと言ってくれる事を嬉しく思う。

もっと素直でありたいね。


あれでもないこれでもないと思う前にあれでもないこれでもないと言う前に
あれでもありこれでもあれ。

初めて行った妖怪の里の奥まで続く川の空気を思い出して少しほっとする。
この感覚は共有出来ないのだろうけど、だからといって投げやりにはなりたくない。
そこにいるのだと覚悟したのなら、それであってもいつもの自分であれ。

どの時でもそこにいる事を忘れずに、そしてその上で彼等と共にあれ。
彼等?彼女達?そういうのは関係ない、そういう所の話しじゃない。

スピーカーの上に出した芽はみるみる育つ、目を離した瞬間に消えてしまったりする。
それは簡単に消えないようにしないといけないなと思う。

動機や行動やり方などなど、人はそれぞれそれらの順番が違うのだろうと最近思う。

怒りや極限や恐怖や孤独や悲しみとか言う事はよくわからない。
難しい言葉もよくわからない。
それだけ自分はのほほんとしてるし、努力してないし、考えていないのだと思う。


空気の奥に入る感じ。
フラットで。
哀しくて孤独で満たされた感じ。
それらは前に書いた悲しみと孤独とは違うもの。


あーどう言ったらいいのかなー
あの場所の事、どう言ったらいいのかなー
どうしたらいいのかなー。
目の奥ばかりにいてはいけないんだろうけどなー
.....そうではないようにする

のには

もう少し
昔に言ってたもう少しとまた違うもう少し。

もう少し。

なんだか本調子の予感

やっとこ、なんだか本調子の予感。
あともう少し。
早く暖かくなったらいいのにな。
昨日は今年初ライブでした、久しぶりに白緑を唄ったりしています。
見てくれた方、呼んでくれた長友君ありがとう。

次は1/16、京都アバンギルドです。


こないだリッキーの家で聴いたDeerhoofの新譜(かな?)がかっこ良くて、速攻アマゾン買ってしまった。
ここに来て、私は音楽まみれで過ごしていたのだな、なんて思ったりする。
音楽をどう知ってるとか、詳しいとかそういうとこではなくて
集中する時の入口になってくれていたり、絵を描く時の入口になってくれていたり、
あぁ必要だなって思うのです。

自分の思っている事、行っている事、それらが何処に所属しているのかとか
それらがどうなのかこうなのかなんてそういう事を言う前に
ひとつひとつこなして行く、こなしていくって言い方はなんだか嫌かな、
ひとつひとつ着実に、ね。
ひとつひとつの不思議に集中して、
よくわかんないけど、よくわかんない事に集中して、
信じるものに集中して
信じる事に集中して

ふわふわと浮きながらもその浮いた空気にしっかりと足をつけてやっていこう。


そうさせてくれている周りの環境や人達に心から感謝。
12345>|next>>
pagetop